舞台ファームの歴史シリーズ① 〜創業前〜

株式会社舞台ファームの歴史を紐解くシリーズ。第一回の本記事では、舞台ファームの創業一家である針生家の歴史を振り返っていきます。

仙台の地で300年以上続く農家・針生家の歴史と、株式会社舞台ファームの創業者であり現社長である針生信夫の半生をご紹介します。ユニークなストーリーに溢れた楽しい内容となっていますので、ぜひ最後まで御覧ください!

■1720年 初代針生家にて農業を開始

●江戸時代中期から代々続く農業一家

1720年頃、針生家は現在の仙台市若林区周辺にて農業を営んでいたという記録が残っています。1720年は江戸時代中期の享保5年、江戸では「江戸大火」が起こった年です。針生家についての記録は同地域に位置する『徳照寺』の書物に記録されています。

『針生』という名字について

戦国時代に会津の蘆名氏の重臣に針生氏がおり陸奥国耶麻郡針生村(福島県喜多方市熱塩加納町・喜多方市立会北中学校付近)がルーツ。蘆名家が滅亡後伊達氏に仕え、宮城県内に広まったと言われています。

日辺 (にっぺ)という場所について

針生家は代々、仙台市若林区の南部に位置する日辺(にっぺ)地区にて農業を営んでいたそうです。(地図) 現在は株式会社舞台ファームの本社および第1〜第4工場があります。

■針生信夫氏(針生家15代目)の半生

●地域を代表する農家の息子 〜過酷な幼少期〜

針生家の14代目幸雄さんは仙台で3本の指に入る売上を誇る有数の農家でした。当時の農業は(現在もほとんどの農家はそうですが、)「労働集約型」であり、2倍稼ぐためには2倍働くというモデルでした。幸雄さんは先代から受け継いだ気骨のあふれる性格と並々ならぬ努力で大規模な農場を経営していました。

現在でも多くの農家がそうであるように、繁忙期には家族も人手として駆り出される事が一般的です。まだ小さかった針生家15代目であり、現・舞台ファーム社長の針生信夫氏も例外ではなく、幼少期より草刈りや収穫、市場への出荷作業など、多い日では1日15時間を超えるような長時間労働をしていたそうです。

農業は自然環境の厳しさと対峙する仕事。小さい頃から半ば強制的にこの環境で戦い続けた信夫氏は中学校を卒業する頃には「早く家を出たい」と考えていたそうです。

●実家から逃げるように「宮農」へ進学

前述のとおり、家業での過酷な労働から少しでも離れたかった信夫氏は、寮生活が可能な宮城農学校(現・宮城県農業高等学校)、通称"宮農"へ進学します。宮農は日本最古の農業高校であり、1977年(昭和52年)に名取市の仙台空港の近くに新校舎を構え、1期生として寮生活をおくりました。

破天荒な性格と型破りな考え方から学校では度々上級生らと衝突を起こす学生でしたが、一方で人望にも熱く、同学2年生時には、友人と「日本学校農業クラブ連盟」通称"FFJ"の委員長に立候補するなど当時からとても活動的な学生でした。

日本学校農業クラブ連盟(FFJ)とは?

『日本学校農業クラブ』 通称FFJ(Future Farmers of Japan)は、昭和25年に結成されました。 農業に関する科目の学習や諸活動に積極的に参加し、農業に関する科目の各分野の向上・発展を図る能力と態度を身に付けさせることをめざして実践的な活動を行う全国組織の団体です。

現在の宮城県農業高等学校(名取市)

■1982年 農家の15代目として農業をスタート(水田6ha・畑2ha)

「サラリーマンをする気持ちは一切なかった」二十歳で農業の道へ

"宮農"を卒業したのち、宮城県立農業講習所(現・宮城県農業大学校)を経て、信夫氏は1982年、二十歳の年に実家へ戻り家業の農業に従事します。

当時の日本は高度成長期を終え安定成長を続けるサラリーマン全盛の時代でしたが、信夫氏は「サラリーマンをする気持ちは一切なかった」と当時を振り返ります。人の下で働くのではなく自ら稼ぎ出し、よい生活を掴み取りたいという気持ちが強かったようです。

その後、21歳で結婚。いよいよ家族を食べさせていくために日々体にムチを打ってハードワークします。

●過酷な労働環境からの脱却 〜とにかく考え続けた4年間

実家の農業に就いた信夫氏ですが、その労働環境は過酷なものでした。来る日も来る日も長時間労働をする生活が続きます。信夫氏の妻で現・舞台ファームの常務取締役である幸子夫人は、「毎日、夕日を見ては涙を流していた」と言うほど過酷な新婚生活を送っていたようです。

よく『針生はいつ寝ているのか?』と周囲から言われるほどの働きで家計を支える一方、「このまま働き続けても収入は増えずにいつかに死んでしまう」と危機感を覚え、現状を打開する方法を考えていました。

続く

次回、舞台ファームの歴史シリーズ②〜創業前〜 では、当時まだ珍しかった「業務用野菜」の生産、販売に乗り出す舞台裏をご紹介します。お楽しみに!


※本記事は現存している僅かな地域史資料及び言い伝えを元に作成しておりますので史実とは異なる可能性もあります。

▷出典/引用

・民俗学の広場
https://folklore2017.com/20000/6999923.htm
・〜農業クラブについて〜
https://x.gd/WwEtsg56


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