舞台ファームの歴史シリーズ② 〜創業前〜

株式会社舞台ファームの歴史を紐解くシリーズ。第二回の本記事では、前回に引き続き舞台ファーム創業までのストーリーをご紹介します。

農業学校を卒業して二十歳で実家の農業を継いだ現・舞台ファームの針生信夫社長が過酷な労働環境で家族を養う中で日々もがき考え続け、活路を見出すストーリーをご紹介します!

■二十歳で就農 考え続けた"打開策"

●21歳で結婚 過酷だった新婚生活

信夫氏は21歳で幸子夫人と結婚します。なんと出会ってわずか3週間という電撃婚でした。幸子夫人の嫁ぎ先は仙台の農家で売上で3本の指に入る針生家であり、その大きな売上は長時間労働をすることで賄われていたので、早朝5時から作業を始め、日付が変わる頃まで働く夫を支えるだけでなく、夫人自らも農機に乗り込むなど第一線で働いていたようです。

●1985年「財布持ち」を交代 一家の長に

信夫氏は1985年23歳の頃、父・幸雄さんから「財布持ち」を引き継ぎます。一家の大黒柱として本格的に大農園を管理する立場となります。

「財布持ち」とは?

「財布持ち」とは家族経営農家などの家計の決済者の俗称で、一般的に一家の長である男性が担うことが多かった。

昭和52年度(1977)の自立経営思考農家の基幹労働力となっている既婚女性を対象にした調査によると、当時の若い世代には、農作業の中心的担い手であっても家計を握る立場になく、夫や親からこづかいをもらっている例が多かったことが示されている。

●「4年間、現状打破する道を考え続けた」

「財布持ち」を交代して一家の財務状況を把握した信夫氏は、自らの重労働への対価が見合っていないことを身をもって知ります。販売経路はほとんど決まっており、ただひたすら作物を作り続けて市場に収める日々を振り返り「奴隷のような労働」と表現します。好奇心旺盛で人一倍成功への意欲が強かった信夫氏は、そんな現状を打開する方法をひたすら考え続けていました。

そして、状況を打開できそうな情報を手に入れるとすぐに行動を起こします。例えば「ある養鶏所が革新的な生産性を実現した」というニュースを耳にすると、1人車を走らせて関西地方まで赴いて施設関係者と仲良くなって秘密を聞き出したり、またある時は、取引のあった卸売市場の仲介業者(転送ビジネス等)の稼ぎ種を多面的に分析したりと、足を使って得た情報を元に自身の事業に応用しました。

成功する秘訣を先行事例に求め、それを自社に転用する。まさに舞台ファームの『TPPA』の造語そのものが、信夫氏の成功の原点にはありました。

そして遂に現状を打開する転機が訪れます。

舞台ファームの『TPPA』とは?

TPPA『T:徹底的に P:パクって P:パクリ倒して A:アレンジする』

他業種の先行事例を農業業界に転用することでイノベーションを起こし続けるための社内哲学を表現した言葉。真似するだけでなく自社流にアレンジを加えることで業界・時代問わず常にイノベーションを起こし続けてきた。

※実際の経営会議でも『TPPA』という単語が頻繁に使われる。

■1988年 6次産業化に着手 

●大型スーパーとの直契約獲得 6次産業化の始まり

1988年、信夫氏が26歳の歳に大きな転機が訪れます。農家として仙台市内の某大型スーパーマーケットとの直接契約を結ぶことになります。現在でこそ農家と小売店の直接契約はよく見られる形態ですが、当時としては革新的で(市場関係者の中にはタブーという空気もあった)ものでした。生産者が販売までを行う「6次産業化」の走りだったとも言えます。

農業者の6次産業化とは?

1次産業の事業者が2次産業(流通)・3次産業(販売)をも担うこと

従来、2次・3次産業事業者に回っていた加工賃や流通マージンなどを農業者自身が獲得し、付加価値を向上させる狙いがある。「6次産業」というフレーズは今村奈良臣・東京大学名誉教授が1990年代なかばに提唱した。

それまで汗水流し、毎日のように市場へ野菜を収めてきた信夫氏は仲介業者を多く通し、その都度「ピンはね」を受ける現状をどうにか変えられないかと、市場関係者の行動や取引現場をまるでスパイの様に観察して情報収集していました。

そして、市場を仲介する各卸売業者の売り値を引き出し、今度はその数字のロジックと営業力で小売店に訪問し価格交渉、契約まで漕ぎ着けます。

一農家と小売店の直接契約は「安定供給が難しいこと」が最大の障壁となります。針生家は大規模農家でありボリュームと安定供給が可能であったため契約する要件を満たしていたと言えます。

変遷する卸売市場の役割

青果、水産物、花きなどは平成27年度(2015)時点でも半数以上が市場流通しているが、生産者の産直取引や直販所、ECなどにより市場数、卸売業者数共に減少している。

市場や関連業者数の減少は、
「生産者の6次産業化」が進んだ事を示唆する

続く

次回、舞台ファームの歴史シリーズ③〜歩みはじめた茨の道「安定供給」という神話〜 では、当時まだ珍しかった市場を介さない取引の光と影、現在の舞台ファームの礎ができる舞台裏を紹介します。お楽しみに!


▷出典/引用

・農家の家族変動への接近 -研究動向の整理を中心に- 石原豊美  https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/nosoken/attach/pdf/199401_nsk48_1_02.pdf

・卸売市場ってどんなところ?-農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/sijyo/info/attach/pdf/index-82.pdf

・「六次産業化」小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%8C%96-189025


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